宮川大輔の父親について!トリリンガルのタクシー運転手!?

人気お笑い芸人の宮川大輔さんの父親は”雅次さん”と言い、

 

すべらない話などにも度々出演されていますが、

 

なんと外国語が話せるんだとか!

 

あの宮川大輔さんの父親ですからね、一体どんな方なのか気になります!

 

今回は宮川大輔さんの父親の宮川雅次さんについてチェックしてみたいと思います!

 

 

スポンサーリンク

 

 

宮川大輔さんの父親の職業は??

 

 

 

まずは宮川大輔さんの父親、雅次さんのご職業についてですが、

 

2016年の3月に引退するまではタクシー運転手をされていたそうです。

 

始めの頃はMKタクシーに就職し、雇われドライバーとして生計を立てていたそうですが、

 

その後は引退するまで、京都市内で”宮川タクシー”という名前で個人タクシーの運転手をされていたんだそうですよ。

 

皆さんももしかしたら観光や修学旅行の際に知らないうちにお世話になっていたかもしれませんね!

 

最終的な職業はタクシー運転手に落ち着いたわけですが、

 

実は雅次さん、職歴でいうと実はタクシー運転手は三番目になるんです!

 

雅次さんは最初、京都の烏丸通の一角で小物店を経営していたんだそうです。

 

なんでもこの小物店は、かつて雅次さんの先代の宮川芳太郎さんが創設し、切り盛りしていましたが、

 

芳太郎さんが脳卒中で倒れてからというもの、その運営は息子の雅次さんが引き継ぐことに。

 

しかしある日、小物店の従業員の一人が焚火をしていたところ、店舗に火が燃え移り、

 

なんと小物店が全焼してしまったそうなんです・・・。

 

この惨劇が起きたのはは1973年のことだそうですが、

 

当時は当然のごとく昔ながらの木造建築だったでしょうから、

 

消火活動も虚しく全焼してしまったんでしょうね。

 

雅次さんの当時の心境を思うと胸が苦しくなってきますが、

 

この出来事の後、雅次さんはもう一度小物店を再起させようと立ち上がったということなんですね。

 

そして、小物店が再び軌道に乗るまでは、同時進行で新たに喫茶店の経営も始めたんだそうです。

 

前代からの小物店を全焼させてしまい、さぞかし辛かったとは思いますが、

 

家族のためと、先代の芳太郎さんのためにも歯を食いしばって頑張ったんでしょうね。

 

・・・しかし現実は甘くはなく、新規に立ち上げた小物店も喫茶店事業も運営に行き詰まり、

 

1970年の後半に廃業してしまったということ。

 

それからは前述の通りのタクシー運転手として生計を立て始めた、ということだったそうですよ。

 

雅次さんとしては、結果的にみると相当な悔いの残る結果となってしまったわけですが、

 

そこで腐らずに、タクシー運転手として何とか生計を立てようとするあたり、感銘を受けますね。

 

 

宮川大輔さんの父親は英語と中国語がペラペラ!?

 

 

自営業からのタクシー運転手という職歴をお持ちの雅次さんですが、

 

なんと英語と中国語がペラペラなんだそうですよ!

 

本当に人は見かけによらないものですね!

 

雅次さんは非常に海外志向が強く、

 

どうやって二か国語をマスターしたのかと聞くと、

 

本人曰く、NHKの教育講座で覚えたということだそうです。

 

本人はそのように言い張っているものの、息子の宮川大輔さんに言わせると、

 

「隠れてアメリカや中国の女性と付き合っていたから」

 

ということw

 

果たしてどっちが本当なんでしょうかw

 

元々外国語に興味があったのか、それとも京都は外国人観光客が非常に多いため、

 

タクシー運転手という職業で活かすために勉強し始めたのかはわかりませんが、

 

いずれにしても計三か国語を話せるわけですからね、本当に素晴らしいことですよね!

 

英語と中国語が通じるタクシー運転手として、さぞかし重宝されたことと思います!

 

 

スポンサーリンク

 

 

息子、宮川大輔さんの結婚に激しく反対した!?

 

宮川雅次さんは、「人志松本のすべらない話」にも話のネタとして度々登場する程の面白い逸話の持ち主ですが、

 

そんなユーモラスな一面の他に、かつて息子の宮川大輔さんの結婚の際には激しく反対したんだそうです。

 

なんでも、宮川大輔さんが結婚を決めた当時はまだブレイクする前のいわば下積み時代。

 

そんな中、まだ稼ぎも十分ではない状態で結婚に先駆けて上京し、

 

売れるようになるまではお嫁さんと家賃を折半するということを聞いた雅次さんは激怒し、

 

「家賃折半なんてあるかい!家賃も自分で払って嫁さんの面倒も見る。それが東京行くってことちゃうんかい!」

 

と、息子に喝を飛ばしたんだそうです。

 

雅次さんからしたら、まだ一人前に稼げもしないのに、お嫁さんに迷惑をかける前提で結婚なんて甘ったれたこと言ってんじゃない!

 

といった心境だったのではないでしょうか。

 

すべらない話では面白いおじさんのイメージが強いですが、

 

しっかりと筋を通す人格者であることが伺えますね。

 

結局は宮川大輔さんは上京し、その後結婚するのですが、

 

こんな状態で結婚を決めた手前、売れないわけにはいかない

 

と、自分を奮い立たせたんだそうです。

 

宮川大輔さん自身にも、しっかりとした決意があったんですね。

 

 

おわりに

 

今回は宮川大輔さんの父親、宮川雅次さんに焦点を当ててみましたが、

 

一度は事業に失敗するものの、腐らずに立ち上がったことや、

 

英語と中国語が話せるということ、

 

そして、筋が通った考えの持ち主であることといった、

 

宮川雅次さんの色んな面を垣間見ることができました!

 

今後も息子の宮川大輔さんと並んでどんな活躍を見せてくれるのか楽しみですね!

 

 

スポンサーリンク

スポンサーリンク