沢村一樹の若い頃の画像は爽やかイケメン!過酷な幼少期から芸能界デビューまでチェック!
コミカルな役からシリアスな役まで幅広く演じることができ、
出演作品も非常に多く、日本を代表する俳優である沢村一樹さん。
50歳を過ぎ、ダンディな大人の男性の魅力が高まりつつありますが、
若い頃の画像がイケメンだと話題になっているようですね!
今回は沢村一樹さんの若い頃の画像やエピソードについて見ていきたいと思います!
沢村一樹さんのプロフィール
本名:野村耕蔵
生年月日:1967年7月10日
出生地:鹿児島県鹿児島市
身長:184cm
血液型:B型
職種:俳優、タレント、ファッションモデル、監督、司会者
異名:エロ男爵
好きな人物:ブルース・リー
スポーツ経験:バレーボール
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沢村一樹さんの幼少期が壮絶!
現在ではドラマや映画、そしてCMと、俳優として第一線で活躍する沢村一樹さんですが、
幼少期には相当な苦労をされたんだとか。
沢村一樹さんは両親と妹の4人家族だったそうなのですが、家庭は非常に貧しく、
家はというと、浴室などは無く、6畳と4畳半のたった二間しかない老朽化の進んだアパートに住んでいたんだそうです。
この4人家族が住むには狭すぎる間取りに加え、両親は仲が非常に悪く、いつも喧嘩が絶えなかったと言います。
喧嘩の声が嫌で逃げようにも二間しかありませんから、子供たちにとっては相当なストレスだったのではないでしょうか。
そしてその後も父と母の間の溝は深まる一方だったようで、沢村一樹さんが12歳の時、
ある日突然父親が家族を残して蒸発してしまったんだそうです・・・
そして単に行方をくらませただけではなく、あろうことかパンパンに膨らませた数千万円の借金を置いて消えてしまったんだそうですよ。
育児放棄だけで飽き足らず、最悪の置き土産を置いて言った形です。
その後母親は、2人の子供を育てるため、そして父親が作った借金を返済するため、
日中は化粧品販売、夜はスナックを掛け持ちし、寝る間も惜しんで必至に働いたと言います。
そして沢村一樹さん、小学生の時から母親に”将来は芸能界に入りなさい”としきりに言われていたんだそうです。
芸能界に入るのは簡単ではありませんが、恐らくはお金に困らない生活をして欲しいという親心だったのだと思います。
この言葉を受けた沢村一樹さん自身も、昼夜問わず必至に働く母親の姿を見て、
「サラリーマンじゃ(家族を)養えないな」
ということで、中学生ながら、将来は俳優になることを決意したんだそうです。
両親の離婚、そして途方もない借金地獄と、過酷な幼少期を過ごした沢村一樹さん。
中学卒業後は鹿児島県立松陽高校に進学することができたということで、
母親は学費を捻出するために尋常ではない苦労をされたことと思います。
そして高校時代はバレー部に入部し、アタッカーとして活躍したんだそうですよ。
元から運動神経に恵まれている上、メキメキと頭角を現したようで、
最終的には県選抜に選ばれるほどにまで成長し、一時は実業団からも声がかかっていたんだとか。
しかし沢村一樹さん、幼少期に誓った俳優になるという決意は高校生になっても揺らぐことはなく、
結局は実業団からのお誘いも蹴り、バレーボール自体も高校で辞めてしまったんだそうですよ。
選抜やら実業団やら、大抵の人であれば舞い上がってしまうところだと思いますが、
沢村一樹さんは完全に別の世界を見ていたようですね。
無責任な父親と再会し、激怒した沢村一樹さん
沢村一樹さんが高校3年生になり、その後の進路を決めるタイミングになった頃、
なんと蒸発したはずの父親が4年ぶりにノコノコと姿を現し、唐突に
「進路はどうするんだ?大学に行くのか?金がかかるな」
などと、まるで対岸の火事のように平然と聞いてきたんだそうです。
この全く無責任な父親の言葉に対し大激怒した沢村一樹さんは、
「お前にそんなことを言われる筋合いはない」
と言って父親の胸ぐらを掴み、殴ろうとしたそうです。
これまでの怒りや憎しみが一気に溢れ出た感じですね。
しかし胸ぐらを掴まれたまま微動だにしない父親を見て、
哀れに思ったのか、それとも殴る価値も無いと思ったのかはわかりませんが、
結局は殴らずに終わったということです。
しかし多額の借金を残して蒸発した父親ですからね、普通は一発くらい殴らないと気が済まないと思いますが、
沢村一樹さんの場合は手が止まってしまったようです。
ある意味で熱い再会を果たした親子でしたが、そのおよそ2年後に父親はこの世を去ります。
そして案の定葬儀には参列しなかったということで、当時としては憎んだり恨んだりという気持ちの方が強かったのかもしれませんね。
現在では結婚し、子宝にも恵まれた沢村一樹さんですが、
自身が家庭を持つようになってからというもの、段々と考えが変わってきて、
「(あの時は)父親だけが悪かったわけではない」
というように考えることができるようになってきたと言います。
子供の時にはわからなかった父親の気持ちや立場というものが見えてきたのかもしれませんね。
そんな中、父親の遺骨が納骨されずに無縁仏となっていることを知った沢村一樹さんは、
とても立派なお墓を建て、父親の遺骨を納めてあげたんだそうですよ。
亡き父への精一杯の親孝行、人格者ですね。
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高校卒業後、上京しモデルデビュー!
高校卒業後は、大学へは進学せずに、しばらくはアルバイト生活をしていたという沢村一樹さん。
俳優になるための資金集めもそうですが、給料のうちの1〜2万円程は実家に入れていたんだそうですよ。
少しでも家計の足しにして母親を助けてあげようという親孝行の気持ちが伝わってきますね。
20歳になると、わずか19万円を元手に飛行機で単身上京し、本格的に芸能界入りを目指すように。
しかし、住まいを提供してくれるはずの東京の友人と連絡が取れなくなり、なんと上京初日から野宿する羽目になってしまったんだそうです汗
非常に幸先の悪い東京生活となってしまった沢村一樹さんでしたが、
その後はライブハウスでバイトを始め、ある日バイト先のお客さんに見込まれてモデル事務所を紹介され、
25歳の時にモデルデビューを果たしたそうです。
こちらがモデル誌の表紙を飾った沢村一樹さんです。
フレッシュで爽やかな印象が強いですね!
くっきりした目元は当時も今も変わりませんね。
若い頃の沢村一樹さん、さらに見てみましょう!
いかがですか??キリっとしたイケメンさんですね!
29歳で念願の俳優デビューを果たす!
25歳にして、モデルデビューと同時に念願の芸能界デビューを果たした沢村一樹さんでしたが、
モデル業をこなす傍らで、徐々に不安に駆られていったといい、
「モデル業は確かに楽しいし、サラリーマンをやってる同級生の何倍もお金が入ってくる。
けど本当にやりたいのは役者。こんなことをずっとやってて本当に役者になれるのか」
という思いが日に日に募っていったんだそうです。
そして29歳の時にチャンスが舞い込んできて、日本テレビ系の深夜枠のドラマに出演し、念願の俳優デビューを果たしたそうです。
そして同年には大ヒットドラマである「星の金貨」の主要キャストに大抜擢されたことで本格的に俳優として活躍し始めたということです。
現在では数えきれないほどの作品に出演する沢村一樹さんですが、
デビュー当時の演技は本当にヒド過ぎて恥ずかしくなるくらいだったと言いますw
単なる一発屋で終わることなく現在に至るのは、沢村一樹さんのたゆまぬ努力の結果と言えそうですね!
おわりに
今回は沢村一樹さんの若い頃についてみてきましたが、
若干中学生にしてすでに俳優を志していたというのは驚きでした。
貧しく苦しい幼少期を過ごされたようですが、それをバネにして現在では日本を代表する俳優にまで上り詰めた沢村一樹さん。
今後も益々の活躍が期待されますね!
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