松本人志の子供時代が壮絶!数々の貧乏エピソードとは!?

お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志さん。

 

お笑いのみならず司会やコメンテーター、映画監督と実に幅広い分野で活躍していますよね。

 

そんな松本人志さんですが、子供時代は家庭が貧しかったそうで、

 

相当な苦労をされたそうです。

 

テレビやラジオなどで自身の貧乏エピソードを語ることも多く、

 

その一つ一つがなんとも切ないと話題になっているようです。

 

今回は、松本人志さんの子供時代に焦点を当ててみたいと思います。

 

スポンサーリンク

 

 

松本人志さんの実家はどこ??

 

まず初めに松本人志さんの実家がどこにあるのかというと、

 

兵庫県尼崎市

 

だそうです。

 

詳しい住所までは特定できませんが、松本人志さんが通っていた小学校

 

「尼崎市立潮小学校」

 

があるのが尼崎市潮江2丁目ということで、

 

校区からすると松本人志さんの実家もそのあたりなのではないかという見方が多いようです。

 

そしてこの潮江の辺りは昔懐かしい平屋建ての家屋が多く、

 

道は人がすれ違うのがやっとで、

 

自転車同士ではすれ違えないほどの狭さで、

 

一般的に言うところの路地裏のような印象を受ける街並みです。

 

そして、ところどころ空き家となっており、家屋の老朽化も目立ちます。

 

 

松本人志さんの子供時代の貧乏エピソード

 

では次に、松本人志さんの貧乏エピソードを見ていきたいと思います。

 

風呂は近所の銭湯

 

松本人志さんの家には風呂がついていなかったため、

 

近所にある銭湯に相方の浜田雅功さんとよく通っていたそうです。

 

毎日入ることはできていたんでしょうかね。

 

貧乏だったということですから、何日かに一回というペースだったことも考えられますね。

 

毎日シャワーを浴びることができるってよく考えると幸せなことなんですね。

 

ちなみにこの銭湯の名前は「昭和温泉」というそうで、

 

お二人は休憩所にあるピンボールでよく遊んでいたそうですよ。

 

そして、浜田雅功さんはよくこの銭湯の屋根に上って女湯を覗いていたということですw

 

とんでもないエロ坊主ですねw

 

 

寿司屋ではタコばかり頼んでいた

 

子供時代の松本人志さんは、たまに親が寿司屋さんに連れて行ってくれたそうなのですが、

 

当時のことを振り返り、

 

「めったに連れて行ったもらえなかったけど、寿司屋に行った時はタコばっかり食べてたね。タコが一番安い感じがしたから・・・」

 

と発言していたそうです。

 

大抵の子供ならば、たまの御馳走ということで親の財布事情などそっちのけで好きなものを頼みまくるのでしょうが、

 

松本人志さんは親に気を遣ってなるべく安いものを食べようと思っていたんだそう。

 

タコばかり頼む松本人志さんのことを親はどういう気持ちで見ていたのでしょうか。

 

松本人志さんはよくできた子供だったといえば聞こえはいいですが、どこか切ないエピソードですね。

 

 

左利きが故に涙をのむ

 

小学生の頃に野球に興味が湧き、地元の少年野球チームに入団したそうです。

 

しかし、松本人志さんは左利きということで、左利き専用のグローブを購入する必要があったのですが、

 

そんな資金は松本人志さんの家にはなく、

 

泣く泣くわずか一日で少年団を去ることになってしまったそうです。

 

当時を振り返った松本人志さんは、

 

「家が貧乏なのはわかってたから、おねだりは滅多にしなかった」

 

と話していたそうです。

 

どうやら左利きのグローブは右利きのものと比べて割高なようですね。

 

ですが、野球は初期費用とランニングコストが高いスポーツとして有名であり、

 

グローブの他にも帽子やバット、ユニフォーム代や靴代といった高額な費用がのしかかります。

 

さらには遠征費や壊れた道具の新調などを考えると、

 

たとえグローブを買ってもらえていたとしても、

 

継続はなかなか難しかったのではないかと思います。

 

悔し涙を浮かべる子供時代の松本人志さんの姿が浮かびます・・・。

 

 

エサ代に困り愛犬を・・・

 

松本人志さんは子供時代に実家で犬を飼っていたそうなのですが、

 

そのエサ代に困った松本人志さんのお父さんがある日突然愛犬をどこかに捨ててきてしまったそうです・・・。

 

傍からすると異常なことですが、

 

エサ代を捻出することすら困難なほどに貧乏だったということなんですね。

 

そうは言っても家族の一員がいなくなるわけですから、

 

そのショックは計り知れないものだったことと思います。

 

 

家族で焼き肉・・・

 

松本人志さんの家では、

 

なんと焼いたウインナーを”焼き肉”と称して食べていたそうです・・・。

 

確かにウインナーも素材は肉なので、焼いたものを焼き肉というのは間違ってはいませんが、

 

普通は考えもしませんよね。

 

考えもしないという時点で裕福だということなのでしょうか。

 

それでも、松本人志さんの家では結構な御馳走だったのではないでしょうか。

 

 

エア自転車で近所を爆走

 

松本人志さんの友人の中には親に自転車を買ってもらえる子もいて、

 

よく自転車で遊んでいたそうなのですが、

 

松本人志さんは貧乏で自転車を買ってもらえず、

 

ハンドルを握るポーズをとりながら走ったり

 

自転車に乗っている友達についていったりしていたそうです。

 

このことを松本人志さんは

 

「エア自転車」

 

と呼んでいます。

 

また実際に自転車をこぐポーズの他にも、

 

エア鍵閉めなどといったこともしていたそうですよ。

 

当時の松本人志さん、自転車に相当強い憧れがあったのだと思います。

 

スポンサーリンク

 

 

相方の浜田雅功さんもまた貧乏だった

 

現在の相方である浜田雅功さんと松本人志さんは、小学校からの付き合いだということ。

 

そして、松本人志さんと同じく浜田雅功さんの家もまたとても貧しかったそうで、

 

本当に仲のいい友達しか家に上げてくれなかったんだそうですよ。

 

浜田雅功さんの実家は二階建てだったそうなのですが、

 

二階には別の家族が住んでいたそうです。

 

そしてこの家、相当老朽化が進んでいたそうで、

 

なんとある日突然天井が崩れて上の住人が落ちてきたんだそうです・・・。

 

普通に考えて危ないですよね。

 

そうはいっても、改修するお金もなく、壊れたところや朽ちたところはそのまま放置していたそうです。

 

台風や地震といった大きな自然災害がきていたらと思うとぞっとしますね。

 

そんな倒壊の危険がある家で暮らすなんて心が休まりません・・・。

 

また、浜田雅功さんがテレビなどで子供時代の話をあまりしないのは、松本人志さん曰く、

 

「貧乏の次元が違い過ぎる。みんなに話したら逆にウソじゃないかと疑われるレベル」

 

だからなんだそうです。

 

おそらく、我々一般人の想像が到底及ばないような壮絶な暮らしをしていたんだと思います。

 

 

松本人志さん、ブレイク後は母親にビッグなプレゼント

 

貧乏な子供時代を送り、悔しい思いを何度も経験した松本人志さん。

 

お笑いの道を歩み始めた当初は、

 

「お笑いで天下取れた暁には、母親にラクをさせてやりたい」

 

と思っていたそうです。

 

そして30代にして東京進出を果たし、

 

冠番組やレギュラー番組を持つようになったタイミングで、

 

なんと大好きな母親のために尼崎市に中古マンションを購入。

 

その五年後には土地と一戸建てをプレゼントしたそうですよ。

 

素晴らしい最高の親孝行ですね。

 

 

まとめ

 

今回は松本人志さんの子供時代について掘り下げてみました。

 

松本人志さんが成功できたのは元々の才能も当然あるでしょうが、

 

幼少期の貧しい経験から、成功したいという思いが誰よりも強かったからではないでしょうか。

 

これからもお笑い界を牽引していってほしいと思います。

 

 

スポンサーリンク

スポンサーリンク