武井壮の大学はどこ?出身大学が2つってどういうこと??

「百獣の王」でお馴染みの武井壮さん。

 

現在でもタレント業の合間を縫ってトレーニングを行ったり、

 

現役のスポーツ選手としても活躍されているという、

 

エネルギーに満ち溢れた方ですね。

 

そんな武井壮さんですが、

 

なんと出身大学が2つあるというではありませんか!

 

研究か何かで他の大学に行ったのか・・・

 

それとも実は片方が中退とか・・・

 

ということで今回は、武井壮さんの出身校、特に出身大学の謎に迫ります!

 

 

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武井壮さんの出身小学校

 

 

まずは武井壮さんが卒業された小学校から。

 

こちらは

 

葛飾区立亀青小学校

 

ということです。

 

武井壮さんのご出身が東京都葛飾区ということで、

 

地元にある小学校へ進学したのですね。

 

そして設立は1872年(明治5年)ということで、

 

とても歴史ある学校なのですね。

 

ちなみに亀青小学校は、葛飾区内で初の小学校だったそうですよ。

 

 

武井壮さんの出身中学校

 

次に出身中学校ですが、

 

こちらは、学校法人修徳学園が運営する

 

修徳中学校

 

になります。

 

この学校は中高一貫校であり、中学卒業後はエスカレーター式に修徳高等学校への進学が決まっています。

 

そしてこの修徳中学校は私立であり、

 

入学金でまずは25万円、そして年間の授業料が約40万円、

 

加えて修学旅行などの積立金や施設使用料といった諸費用で数十万円という莫大な費用がかかります。

 

子供時代の武井壮さんは、自身がわずか7歳の時に両親が離婚しており、

 

とても貧しい生活を送っていたそうで、当然このような大金の捻出は不可能でした。

 

ではどうやって入学、卒業したのかというと、

 

裏口入学のような汚い手は一切使っておらず、

 

成績優秀者に対する特待制度を利用したということです。

 

なんでも、成績が学年のトップ3に入ると授業料などの学費が免除になるということ。

 

なんと武井壮さんは高校卒業までの6年間、

 

成績はすべて学年トップという偉業を達成したため、

 

学費は1円も払っていないそうです汗

 

尋常ではないほどの努力をされたのでしょうね。

 

先生からしても自慢の生徒だったのではないでしょうか。

 

一方で修徳学園はスポーツの強豪校としても知られており、

 

サッカーではあの北澤豪さんを輩出しているほど。

 

武井壮さんはというと、

 

こちらも強豪として知られる野球部に所属し、

 

日々血の滲むようなハードな練習をこなしていたということです。

 

そして、全体練習の他に自主練にも励み、

 

武井壮さんの手のひらには常に無数のマメがあったそうです。

 

勉強のみならず部活動もこなすとは、

 

およそ凡人が想像もできないような次元でやっていたのでしょうね。

 

 

武井壮さんの出身高校

 

修徳学園は中高一貫であるので、

 

中学卒業後はそのまま修徳高等学校へと進学。

 

高校でも一切手を抜かず、学年トップの座は誰にも譲らなかったそうです。

 

まさに化け物・・・

 

そしてスポーツの方はというと、

 

それまで必死に練習を重ねてきた野球を辞め、

 

今度はボクシング部に入部します。

 

これに関してはちょっともったいない気がしますよね。

 

武井壮さんのことですから、

 

そのまま野球を続けていたらどうなっていたかと想像が膨らむところですが、

 

こちらも武井壮さんのことなので、

 

野球は中学で一応の区切りをつけて、

 

また別のステップ、フィールドに挑戦したかったのではないでしょうか。

 

その飽くなき向上心には感服ですね!

 

 

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武井壮さんの出身大学は2つ!?

 

中学高校時代は素晴らしい文武両道を成し遂げた武井壮さん。

 

その後は大学へと進学していくわけなのですが、

 

どういうわけか計2つの大学を卒業しているということなんです!

 

どちらかが中退などではなく、どちらも卒業ですからね、謎が深まります。

 

修徳高校を卒業後、まずは

 

神戸学院大学法学部

 

へ進学したそうです。

 

詳細な情報は出てきませんでしたが、

 

中学、高校時代の成績が目覚ましいということで、

 

恐らくは推薦枠を利用しての進学だったことと推察されます。

 

そして大学進学当初は、

 

再び野球か、アメフトか、はたまた柔道かということで迷っていたらしいのですが、

 

最終的には陸上短距離、に落ち着きます。

 

数あるスポーツの中で、単純に脚の速さだけを競う競技を選択したんですね。

 

小学生の時には、同級生に駆けっこで負けそうになったことで危機感を覚え、

 

その日から、

 

(どうやったらもっと速く走れるんだろう)

 

と考え、学校の先生や、近所の体育大学の学生さんに聞き回っていたそうですよ。

 

そして、体や運動に関する知識を深めていくことで、

 

運動神経が驚くほどに高まっていったそうです。

 

それ以来、運動会などで走りでは負けたことがないらしく、

 

”走る”ということが武井壮さんの運動神経の飛躍的な成長の原点ともなっているようです。

 

なので短距離を選んだということは、

 

武井壮さんの中での原点回帰という面があったのかも知れませんね。

 

そして短距離でメキメキと頭角を現し、

 

大学3年時には、十種競技という種目へと転向します。

 

この十種競技というのは、

 

第1日は100メートル走・走り幅跳び・砲丸投げ・走り高跳び・400メートル走

 

第2日は110メートルハードル・円盤投げ・棒高跳び・槍投げ・1500メートル走

 

という順番で10種目を一人で行い、総得点で順位を競う競技。

 

この十種競技に転向したところ、こちらでもメキメキと頭角を現し、

 

なんと他大学からスカウトされたということ。

 

そしてこの大学は

 

中央学院大学

 

であり、武井壮さんはこのスカウトを承諾し、

 

神戸学院大学をしっかりと卒業した後で再入学したそうなんです。

 

これが出身大学が2つあるという理由ですね!

 

そしてここはさすが武井壮さん、スポーツで評価されたからといって天狗になることなく、

 

しっかりと単位も取って卒業するあたりが素晴らしいですね。

 

ちなみに、神戸学院大学法学部卒業と同時に、

 

高等学校教員免許(社会科・商業科)を取得したそうです。

 

ということは、この先”武井先生”なんていう可能性もあるわけですね!

 

本当にマルチでかっこいいです。

 

 

中央学院大学時に快挙を達成!!

 

 

そして、中央学院大学に進学後は十種競技に専念し、

 

よりハイレベルなトレーニングに励んだ結果、

 

競技開始からわずか2年半という驚異的な短さで

 

日本陸上競技選手権大会十種競技で見事優勝を果たします

 

もはや次元が違い過ぎてついていけませんよw

 

ちなみに、優勝時の100m走のタイムは10秒54で、

 

2015年までは十種競技における100mの日本最高記録だったそうです。

 

自身の原点ともいえる短距離で結果を残せたというのは非常に価値のあることだったのではないでしょうか。

 

 

おわりに

 

今回は武井壮さんの出身校についてチェックしてみましたが、

 

出身大学が2つあるという謎が解けましたね。

 

また、常に学業にも運動にも全力で取り組み、

 

その双方でしっかりと結果を残すというお手本のような文武両道を成し遂げた武井壮さん。

 

ツイッターで数多くの名言を生み出しているだけのことはありますね!

 

今後ともその成長から目が離せません!

 

 

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